母の終活

80歳の母はひとりっ子(ひとり娘)です。
母の祖父は江戸時代から続く老舗の印房を人にお願いし、ご縁があった福島に移り住み、新たに印房を開きました。
お墓も建てました。
母の祖父、叔父、両親。

でも、母はそのお墓には入りません。

数年前から母はお墓のどうするか悩むようになりました。
守る人がいなかったのです。
3度の地震で痛みも激しくなってきていました。

母は私に託したかったようですが、それらしいことを言われても濁していました。
私の兄の苗字は当たり前ですが「父の姓」。でも、母の長男。息子もいるので兄にお願いするのが良いのではないかと考えたからです。
しかし、母の「家」の事情を一番知っているのは私。
それでも私は「それなら私が」とは言えませんでした。

意を決して母は埼玉に住む「母の父親の弟の長男」=従弟に手紙を書きました。
返事を待つ間も心配で不安な顔をしていました。
・・・福島のお墓を終って埼玉で守ってもらえるだろうか?
・・・守ってもらえない時は、自分が入るお墓の隣に小さなお墓を建てようか。
・・・できるなら、自分が入るお墓に入れたいが夫は許してくれるだろうか。

直ぐに従弟のKさんから連絡が来ました。
「福島に行きます。妻と長男と伺います。」

 

5月13日。Kさん家族と母と私でお墓に行きました。
母とKさんはお墓の前で、若くして夫に先立たれた母の母親がどんな風に生きて来たか。どんな想いで母たちがお墓を守って来たか。今までの歴史を一気に話しました。

Kさんは優しく頷いてから言いました。

「今日来たのはね、お墓の傷み具合を確認したかったこともあるけれど、(お墓の中の)みんなの前で宣言したかったからなんだよ。私がお墓を守ります。伯母さんたちが守ってきてくれたお墓を今埼玉には移せない。将来はまた考えるとして、惠子ちゃんが伯母さんたちに逢えるこの場所を今失くすわけにはいかない。私の後は長男が守りますから。」

涙が出ました。

その日の内に、Kさんはお寺に管理料を納め、管理者変更も済ませてくれました。

お墓の補修など、実際に動くのは長男のHさん。
私たちは早速LINEでつながりやりとりを始めました。
初めて会ったのに以前から知っているようなKさん家族。
あたたかい素敵な人たち。
こんなに素敵な人たちが親戚でとても幸せな気持ちになりました。

母の顔は驚くほど晴れ晴れとしていました。

本来なら婿をとって家業を継ぐべきだったのに、自分は反対を押し切って他家に嫁いだ。自分が終わらせてしまったとどこか申し訳ない気持ちでいたのだと、私はずっと感じていました。

 

母の終活。
「想いを伝えておく」

残った人が困らないように、母がきちんと完了させようとした勇気と思いやり。
この「取り組む姿勢」を見せることもまた終活だと思いました。

私の終活の一つ。
「想いと姿勢を繋いでいく」

 

オフィスリーダー 熊谷達子
シニアの想談窓口〜人生をキレイに仕上げて、大切な家族をまもる〜